義父の戦友が逝く

70数年戦友だった服部氏が今日、何の前触れもなく亡くなられた知らせが入り、電話を受けた私は何か小さなショックを受けました。一度しかお会いした事がないのですが、お電話を頂くと「望月君のお宅?」と決まったようにおっしゃるので、名前を聞かずとも「服部さんですね?」と言うと、とても喜んでくださったものでした。「律子さんは、名乗らなくても声でわかってくれるよ」と。89歳でした。年齢では天寿を全うされたのでしょうが、義父の為にはもう少し生きていてほしかったと思います。2歳下の義父にとって、大の仲良しであったし、大のライバルでもあったような気がします。私が、テレビに出たら、番組が終わるやいなや、電話が掛かってきて、「律子さん出ていたね」と喜んでくださり、新聞に出ると、わざわざ新聞を切り抜いて送って来てくださったり、本当に私もとっても可愛いおじいさんという気持ちでした。6年前の浜松での花博の時、当社の社内旅行に服部さんのご家族が経営されていた(有)ジッポーという、温室で花を育て出荷されている会社にお邪魔したことがありました。私は其の時初めてお目に掛かったのですが、体を90度に曲げて杖をついて、実にまめに動き回って、我々の社員を案内してくださったことが、忘れられません。其の時に買わせていただいた、花「アデニュウム」が今も花を咲かせています。そして、最近手紙を下さって、ご自分の工場の写真を送ってくださって、「律子さんに花博の時に寄ってくれた工場の写真をあげてください」と書いてありました。今、又見直して思い出しました。この4月に義父と二人で靖国神社に行き帰りに毎年恒例の宇佐美の旅館に1泊してきたのに・・・来年から行けなくなった義父は寂しくて仕方ないようです。ご冥福をお祈りしています。

One Comment

full moon

私の父も89歳。戦友は本当に大切な特別な存在です。
最近、当時の話をして通じる人がいなくなってしまったと、淋しそうにいいます。
律子さんのお義父さまがお元気に靖国神社にいらしたブログはとても嬉しく拝見しました。
私からもご冥福をお祈りいたします。

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